9/03/2014

ほめて。

褒められるの好き。

ウソかホントか、お世辞か本心か
そんなの追求しない。

全部ホント。皆、本心。
素直にそのまま受け取りたいの。

でもね

フェイクとはいえ言葉の裏読んでなんぼの京都育ち。
私はひねくれ+いけずモードが標準装備。

褒められたら、遠回しに何か注意されてるんじゃないかと疑え。
(さらに、嫌みである可能性も高いぞ)

母の教えである…。

これを常識と信じて成人した訳ですが
横浜で働き始めた頃
この感覚がない人の方が多勢であることに初めて気づいた。

えー、褒め言葉そのまま受け取っちゃって。そんなナイーブでいいの…。
と、びっくりしたり
この嫌みすれすれの美辞麗句、こいつ本気で言ってる?それとも腹黒??
と、ひとり勝手に振り回されてみたり。

どうしても腹に据えかねる関東人に
京都風の褒め殺しをかましてうっぷん晴らしをした事も。
(今頃ですが、いけずでごめんなさい…)

が、関東人恐るべし。
言葉を真綿にくるんで相手を糾弾するという高等手段(?)のかわりに
そのまんまダイレクトな言葉で相手を粉砕する
シンプルかつ非常に効果的な手段をお持ち。

以前にも書きましたが
横浜の美容部員さんの直截な物言い</a>にはめっちゃ引きました。
でも
裏表のない(あるいは裏表が無いという筋書きの)振る舞いは私には新鮮。
客である私も自分の要求をずばっと言って
さっさと自分の目的を達成する(買物)ことができるのもまた良し、と。

待ち合わせの時間に対する態度も関東人は違った。
関東人は6時と言ったら6時。
私が母から受けた教育は“3分遅れて行きなさい”。

そのこころは

早々と待ち合わせ場所で待ってたら、後から来た相手に
待たせてしまった、ごめんなさいね、と思わせてしまう。
自分が後から行って、待ってくれてありがとうと
へりくだっておく(?)くらいがちょうどよい。
3分だったら、待つという程の時間でもないから実害も無い。

私、昔はなんの疑いも無くこれを実践してたのだ。
だがしかし、いやしかし、切れ味鋭いとある横浜娘に
“何言ってるんですか。3分でも遅刻!時間厳守!!”
と、切って捨てられた。
今となっては、3分遅れを実践してた自分に驚くけどね。はは。


結局のところ、私はこののしかかるような京都文化を愛する事は出来ない。
もっとシンプルな言葉遣い、もっとシンプルな気遣いで
世の中充分生きて行けると気づいたその日から。

あ、遠回しながらキツい物言いだけじゃなくて
相手を責める時にも
プライドを立てて逃げ道を用意してあげるような物言い、
メンツを潰さないようにする ものやわらかさも京都語の身上。
私は全然使いこなせないけれど
自由自在に操る方を憧憬の眼差しで見てしまいます。
やっぱり、私のどこかに京都成分が残っているのかなあ。


ちなみに、実家に帰る度に
京都伊勢丹(又は四条烏丸の大丸)の資生堂に寄るのが密かな楽しみ。
京都マダム相手に磨かれた柔らかでそつない接客は素晴らしいです。
(若者向けでなく、マダム向けの店を選ぶのがコツ!)
客の言葉を注意深く分析して
京都的にちょうど過不足無く相手を持ち上げてくる。
やんわりのんびり会話にみえて、その実、丁々発止のやりとり。面白いの。
美容部員さんの最適の言葉遣いに陶酔しつつ
2時間くらいは軽く遊んでいられます。
お試しあれ!

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